沖田臥竜の小説「木漏れ陽」映画『木漏れ陽』 制作決定
沖田臥竜(おきた・がりょう)の小説を、澤口明宏が長編映画監督デビュー作として映画化する「木漏れ陽」の制作が決まった。2027年以降の全国劇場公開と、海外の映画祭への出品を目指す。あわせて、ティザービジュアルが公開された。
「木漏れ陽」の主人公は、家族のために足を洗い、幼いころからの夢だった漫画家を目指す元ヤクザの小泉拓郎。すれ違いから妻と離婚し、月に2回だけ会える幼い子どもたちを生きがいに原稿に向かう日々を送るが、ある日、突然、末期がんの宣告を受ける。夢への渇望と父親としての責任のはざまで揺れながら、残された命の限り、子どもたちのために生き抜こうとする小泉。元ヤクザとして背負う過去、夢を追う泥臭い情熱、子どもたちへの愛、そして自分を慕い続ける弟分との絆が交錯する人間ドラマとなっている。
本作は、沖田が、「ヤクザと家族 The Family」「インフォーマ」などでタッグを組んできた藤井道人と企画を立ち上げたことから始まった。藤井の原案をもとに沖田が小説を書き上げ、藤井が企画・プロデュースを務める。沖田は2016年に小説家としてデビューし、ドラマや映画の監修を手がけるほか、「ムショぼけ」「インフォーマ」シリーズなど、自作の映像化や漫画化にも携わってきた。監督・脚本は、ドラマ「インフォーマ」「ムショぼけ」などの脚本・演出を手がけてきた澤口明宏。本作ではドキュメンタリータッチの手法を取り入れ、登場人物たちの息遣いや揺れる感情、そこにある家族の姿を映し出す。
ティザービジュアルは、小泉の生きがいである2人の子どもたちが、やわらかな木漏れ陽を背負う後ろ姿を捉えた1枚。穏やかな光景の奥に、やがて彼らを待ち受ける過酷な運命が静かに横たわる、家族の物語を象徴するビジュアルとなっている。写真は浅田政志、アートディレクションは吉良進太郎が手がけた。
沖田臥竜と澤口明宏監督のコメントも公開された。コメントは以下の通り。
【コメント】
■沖田臥竜(原作・監修)
企画・プロデュースの藤井道人監督と映画「ヤクザと家族」で知り合い、「ムショぼけ」や「インフォーマ」シリーズを一緒に生み出してきた。
私の場合、藤井監督との「出会い」が全てのメディアミックスの原点になっている。
忘れもしない。サイゼリヤだ。サイゼリヤで撮った何気ない写真を藤井監督に送り、それが「木漏れ陽」のスタートになったのである。
作り手がわくわくドキドキしなければ、人の心を鷲掴み、揺さぶるような物語なんて生まれてこない。
私はいつも藤井監督から「沖田さん!次はこんなのをやりませんか!?」と連絡があるたびに、わくわくドキドキしながら、腕を鳴らすのである。
今度は家族愛である。私が筆を握ったのだ。号泣させてやろうではないか。
観てくれた全ての人々を私の地元・兵庫県尼崎市から、泣かせてやろうと思っている。
澤口監督とは「ムショぼけ」や「インフォーマ」でも一緒にやってきた。とにかく真面目で人柄が良いのだ。どのような仕事でも、人柄の良さと真面目さが最優先されるべきではないだろうか。
BABEL LABELのプロデューサー・高柳亮博さんも何年も前から知っていて、今回「木漏れ陽」で高柳さんのもっともっと深い所を知ることが出来た。
一言でいえば最高な人物である。
ここからは、我々の時代である。映画「木漏れ陽」で一つの時代を作りにきた。
大勢の人々を映画館で涙させようと思っている。日本中を号泣させようと思っている。
心配するな。私は私で唯一無二である。誰にも真似のできないヒューマンを用意している。
誰かの心の片隅に「あの映画、面白かったね」と何年、経っても残ってくれますように。
■澤口明宏(監督・脚本)
原作を読んで、小泉と子どもたちが過ごす時間が、もう少し続いてほしいと思いました。ご飯を食べながら言い合いをして、くだらないことで笑い、眠る前にはいつもの言葉を交わす。読み終えたあとも、そんな何でもない時間が心に残っていました。だから、この親子の「今」を映画にしたいと思いました。
小泉は、父親としてちゃんとやっているつもりでも、そう受け取ってもらえるとは限らない。漫画を描きたいという夢もあって、誰かのためにしていることと、自分のためにしていることを、本人も分けられていないのかもしれません。それでも、子どもたちを愛していることに変わりはない。そんな小泉を、きれいに整理せずに撮りたいと思いました。
残された時間で何かをなすことが、本当に正しいのか。何かを遺そうとする小泉を見ながら、そんなことも考えました。ただ、彼らが一緒に過ごす時間のすべてが、別れのためにあるわけではありません。子どもたちには今日遊びたいことがあるし、小泉にも描きたい漫画がある。命に限りがあることと、目の前の毎日を生きていること。その両方を見失いたくありませんでした。今回は、こちらが考えた答えに近づけることよりも、台本から逸脱したとしてもその場に生まれるやり取りを大切にしたくて、ドキュメンタリーを撮るようなアプローチをします。
そうして一つひとつのシーンを積み上げた先に、本当に何かが見えてくるのか。何もない、散漫なものになってしまうのではないかという怖さもありました。それでも、その不安を埋めるために、人物の気持ちや場面の意味を決めてしまいたくはありませんでした。主人公だからといって、小泉のすべてがわかるわけではない。撮る側も、わからない部分を残したまま、その人のそばにいられないかと考えていました。そうした姿勢を保ちながら一本の映画にしていくことは、とても難しく、自分にとって大きな挑戦になります。
『ムショぼけ』『インフォーマ』とご一緒してきた沖田さん、そして盟友である藤井監督から、本作の監督を託していただきました。沖田さんが描いたこの親子の時間を、役者やスタッフと一緒に、自分が本当に撮りたいと思える映画にすることで、二人の信頼に応えたいと思っています。
死に向かう物語の中で、最後まで、生きている人間を撮りたい。完成する瞬間まで、この人たちと向き合っていたいと思っています。
【作品情報】
木漏れ陽
©映画「木漏れ陽」製作委員会





