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堤真一・山田裕貴 W主演『木の上の軍隊』ウチナーンチュが描く史上初の“沖縄戦映画”

1945年、沖縄県伊江島で激しい攻防戦が展開される中、2人の日本兵が木の上に身を潜め、終戦を知らずに2年もの間生き延びた――そんな衝撃の実話から着想を得た作家・井上ひさしが原案を遺し、こまつ座にて上演された舞台「木の上の軍隊」が映画化。来週6月13日(金)より沖縄にて先行公開、7月25日(金)より全国公開となります。

沖縄県では太平洋戦争末期の1945年、米軍を主体とした連合国軍と日本軍の間で激しい地上戦が展開され、当時の人口で沖縄県民の4人に1人が亡くなるという、非常に多くの犠牲者を生み出した。「沖縄戦の縮図」とも言われるほどの激戦地となった伊江島でも、住民を巻き込んだ地上戦が行われ、軍民3,500名もの命が失われた。

戦後80年という節目の今年に公開される映画『木の上の軍隊』は、日本軍の敗戦を知らずに2年間、ガジュマルの樹上に身を潜めて生き抜いた2人の兵士の実話に基づく物語だ。本作で注目すべきは、そのスケールやキャストに加え、“沖縄の人々が沖縄戦を描いて発信する”という点にある。

沖縄出身・在住の平 一紘監督をはじめ、主要なスタッフや主演2人以外のキャスト陣の多くがウチナーンチュ(沖縄の人)で構成され、全編の撮影を沖縄で敢行。沖縄の土地、記憶、そして人々の声が深く根ざした、唯一無二の作品が誕生した。
『木の上の軍隊』1953年に公開された映画『ひめゆりの塔』以来、沖縄戦を描いた映画は数多く制作されてきたが、その多くは本土出身の監督や、ハリウッド資本によるものであり、沖縄の作り手が自らの視点で沖縄戦を描くことは長らく叶わなかった。そんな中で『木の上の軍隊』は、初めて沖縄出身・在住の監督と沖縄のプロダクションが主導した“本格的な沖縄戦の映画”として、大きな意味を持つ。
『木の上の軍隊』
堤 真一と山田裕貴をダブル主演として迎えつつ、共演者には、津波竜斗や玉代㔟圭司、尚⽞、岸本尚泰、城間やよい、川田広樹(ガレッジセール)ら沖縄出身の俳優たちが名を連ねる。さらに現場を支える撮影、録音、美術などのスタッフたちも沖縄の制作陣が中心だ。主題歌「ニヌファブシ」(=沖縄の言葉で北極星という意味)を手掛けるのは、伊江島出身のシンガーソングライター、Anly。35歳の平監督は「この映画を通じて、沖縄にはとても優秀な映画制作スタッフがいることを全国に伝えたい」と語る。
全編沖縄ロケ、「ガマ」で戦争の記憶を刻み、実際に生い茂るガジュマルの樹上で撮影

本作では、沖縄戦の象徴のひとつである「ガマ」(自然洞窟)での撮影も行われた。山田演じる新兵・安慶名が逃げ込むガマとして登場するのが、沖縄本島にある「クラシンジョウ ガマ」だ。爆撃シーンも、このガマの前で撮影された。ガマは戦時中、住民や兵士たちの避難場所、陣地、弾薬庫として使われ、一部のガマでは「集団自決」(強制集団死)によって住民たちが命を落とす悲劇が起き、多くの命が失われた場所でもある。悲しみの記憶が凝縮されたこの場所での撮影は、キャストやスタッフにとっても神聖で特別な体験となった。山田も「とても印象に残っています。当時、たくさんの方々がここに隠れていたんだと思うと、歴史の重みを感じました」と振り返った。
ガジュマルの木

『木の上の軍隊』
本作で重要な舞台となる“ガジュマルの木”は、伊江島のミースィ公園に、美術部や現地の造園業者の協力のもと、数ヶ月かけて移植した本物の大木だ。ミースィ公園に元々あったガジュマルに、もうひとつのガジュマルを移植して2本の木を根付かせた。それにより樹上に大きなスペースのある立派なガジュマルが完成した。だが、樹上での撮影は困難を極めた。樹上に隠れるということは、周囲から見えなくなることを意味する。下からも横からも見えない主人公2人の姿を撮影するため、抜き差しできる可動式の枝を使用することで難題を解決。寄りのときにはその枝を抜き、クレーンでカメラが入れるように工夫した。大変な撮影状況のため、スタッフの代わりにキャストがカチンコを鳴らしたこともあったという。堤は「スタッフの皆さんは大変そうでした。6、7人くらいのスタッフが木に登って撮影していたんです。僕は安定した場所にいるからまだしも、スタッフはいろんなアングルから撮らないといけないから、細い木の枝の上も移動していました」と過酷な撮影を振り返った。撮影中、主演の2人にとってもこの“ガジュマル”は、単なるロケセットではなかった。
『木の上の軍隊』
『木の上の軍隊』
堤は「この木は、自分たちを守ってくれる、もうひとりの登場人物のように感じた」と語り、山田も「役とシンクロしていくうちに、一番安心できる場所になっていた」とその存在感を振り返る。

本作のモデルとなった山口静雄さんと佐次田秀順さんが、80年前の当時登っていたガジュマルの木“ニーバンガズィマール”は、伊江島のミースィ公園の近くに今も現存しており、多くの命が失われたことを忘れさせない象徴的な存在となっている。沖縄の土に根を張り続けるガジュマルは、戦争の記憶、土地の記憶を宿す“命の象徴”そのものであり、この映画を貫く大切なテーマのひとつを体現している。

『木の上の軍隊』は、戦争を題材にしているが、ただの戦争映画ではない。悲劇だけではなく、そこで生き抜いた人々の“希望”を描いている。戦争体験者の声が消えゆく現代において、沖縄戦、そして今起きている戦争を語るきっかけとしての役割も十分に果たす作品になるだろう。

6月13日(金)沖縄先行公開/7月25日(金)新宿ピカデリー他全国ロードショー

宮崎から派兵された厳格な少尉を演じるのは、確かな演技力で日本の映画界を牽引してきた名優・堤 真一。沖縄出身の新兵に抜擢されたのは、数々の話題作で存在感を示す山田裕貴。ダブル主演を務める堤と山田は初の共演ながら、阿吽の呼吸で極限状態の兵士たちを、繊細かつ力強く、そして人間らしい可笑しみをもって表現。監督と脚本を手掛けるのは、『ミラクルシティコザ』のスマッシュヒットが記憶に新しい沖縄出身の新進気鋭・平 一紘。全編沖縄ロケ、伊江島では実際に生い茂るガジュマルの木の上で撮影が敢行されました。

物語
太平洋戦争末期、戦況が悪化の一途を辿る1945年。飛行場の占領を狙い、沖縄・伊江島に米軍が侵攻。激しい攻防戦の末に、島は壊滅的な状況に陥っていた。
宮崎から派兵された少尉・山下一雄(堤 真一)と沖縄出身の新兵・安慶名セイジュン(山田裕貴)は、敵の銃撃に追い詰められ、大きなガジュマルの木の上に身を潜める。仲間の死体は増え続け、圧倒的な戦力の差を目の当たりにした山下は、援軍が来るまでその場で待機することに。戦闘経験が豊富で国家を背負う厳格な上官・山下と、島から出たことがなくどこか呑気な新兵・安慶名は、話が嚙み合わないながらも、二人きりでじっと恐怖と飢えに耐え忍んでいた。やがて戦争は日本の敗戦をもって終結するが、そのことを知る術もない二人の“孤独な戦争”は続いていく。
極限の樹上生活の中で、彼らが必死に戦い続けたものとは――。
木の上の軍隊

原作:「木の上の軍隊」
株式会社こまつ座・原案:井上ひさし
作家・井上ひさしが生前やりたい事として記していたオキナワを舞台にした物語。タイトルは「木の上の軍隊」。
井上が遺した1枚のメモを基に、井上ひさし没後、こまつ座&ホリプロ公演として2013年、藤原竜也、山西惇、片平なぎさを迎え初演された。その後、「父と暮せば」「母と暮せば」と並ぶこまつ座「戦後“命”の三部作」位置づけられ、16年、19年にはこまつ座公演として山西惇、松下洸平、普天間かおりが出演し、再演、再々演され、19年には沖縄でも上演。世界からも注目され様々な国から上演依頼がある作品である。2023年6月より韓国公演がスタートし8月の終演までソールドアウトの人気を博した。

出演:堤 真一  山田裕貴
津波竜斗 玉代㔟圭司 尚玄 岸本尚泰 城間やよい 川田広樹(ガレッジセール)/山西 惇
監督・脚本:平 一紘
原作:「木の上の軍隊」(株式会社こまつ座・原案井上ひさし)
主題歌:Anly
企画:横澤匡広
プロデューサー:横澤匡広 小西啓介 井上麻矢 大城賢吾
企画製作プロダクション:エコーズ
企画協力:こまつ座
制作プロダクション:キリシマ一九四五 PROJECT9
後援:沖縄県  特別協力:伊江村
製作幹事・配給:ハピネットファントム・スタジオ
©️2025「木の上の軍隊」製作委員会

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