映画

『五十年目の俺たちの旅』完成披露上映会

完成披露上映会
日時:12月8日(月)
会場:TOHOシネマズ 六本木ヒルズ
登壇:中村雅俊、秋野太作、田中健、岡田奈々

1975年10月 から日本テレビ系列で放送された「俺たちの旅」は、中村雅俊演じるカースケ(津村浩介)、秋野太作演じるグズ六(熊沢伸六)、田中健演じるオメダ(中谷隆夫)による青春群像劇。
不朽の名作が今年で放送開始50年を迎えるにあたり、彼らの「今」を描く最新作『五十年目の俺たちの旅』が2026年1月9日(金)よりTOHOシネマズ日比谷ほか全国公開いたします。この度、中村雅俊、秋野太作、田中健、岡田奈々が登壇した完成披露上映会を、TOHOシネマズ 六本木ヒルズにて行いました!
大勢の観客で熱気あふれる会場内にやってきた中村はやや緊張の面持ち。「監督という大役を仰せつかって、正直言って大変でした。でもこうやって皆さんが目の前にいて、なんだかホッとした気持ちです。同時に中村、緊張しております。皆さんがこの作品をどう見てくれるのか、すごく気にしています」と挨拶。

続く秋野は「今年82歳になりました。まだ生きております。なんとかこの先も今しばらく生きたいと思っております」と挨拶すると、「この作品は大変ですよ。2時間、じいさんの顔しか映ってないんだから。そういう映画をこれから皆さんに耐え忍んで見ていただこうと思います」と作品についてユーモラスに語り、会場を沸かせると、田中が「僕としては同窓会という気持ちで演じたので、皆さんも同窓会の気持ちで観ていただければありがたいです。中村監督は素晴らしいです。楽しみにしてください」と続け、さらに岡田が「「俺たちの旅」はわたしがデビューした頃のドラマですが、またこうして50年たって映画化されまして。また出させていただけるなんて本当に夢のようです」と感慨深い様子を見せた。

「俺たちの旅」という50年前のドラマについて中村が「俺らにとってはただただ楽しい番組で。撮影現場に行ったり、撮影所に行ったりするだけですごく楽しい時間がそこに待っていた。それで1年間通したんですよ。それがまさか、後々、青春ドラマの金字塔という言い方をされるとは思わなかった」と語ると、深くうなずいた登壇者たち。さらに中村が「やはりこのドラマが金字塔と呼ばれるようになったのは、皆さんがこの作品を愛してくれたという、その賜物です。50年たってもずっと皆さんがこの作品を愛してくれたということで、そこは本当に感謝したいです」と語りかけた。

ドラマ「俺たちの旅」は、放送終了後も10年後、20年後、30年後と、スペシャルドラマとして彼らのその後が描かれてきたが、40年後の時は、当時のメイン監督(斎藤光正)が亡くなったことなどが影響し、続編が制作されることはなかった。だがその後も、続編を望むファンからの待望論が浮かんでは消え、浮かんでは消え、という状況が続く中で、脚本家の鎌田敏夫が中心になって「もう一回やろうじゃないか」という機運が高まり、その中で今度は映画をつくろう、ということになった。その中で鎌田から「雅俊、お前が監督をやれ」と指名されたのが中村だった。「そう言われた時に、なんか妙に素直になっちゃって。「やります』と言ってしまい、こんなことになった。とても大変だったんですけど、結果としてやって良かったなと思っています」と振り返った。

そんな中村監督は、現場でどのように過ごしていたのだろうか。現場を振り返った岡田が「中村さんが一番大変だったと思いますよ。監督と役者との切り替えがね」と指摘する通り、中村監督は自身の演技チェックに苦戦したようだ。「秋野さんや健ちゃん、奈々ちゃんを演出する時は監督の目で見ることができるんだけど、自分が出るシーンは、代役の人に芝居をしてもらってから自分が入る。モニターを見て「OK」を出すんだけど、もうちょっと頑張らないといけないのに、ちょっと許してしまうというか、自分の芝居に甘いというか……」と振り返った中村は、編集段階で自分の芝居を客観的に見て、「俺の芝居が弱いんですよ。心の中で「失敗!』って叫んでいました」と笑うも、「ただキャラクター自身はもう出来上がっているので、いまさら役作りというのはなかった。あとは歳を取っている分だけ頑張ってセリフをちゃんと言ってほしい、ということだけでしたね」と語る中村の言葉に、キャスト陣も深く頷いていた。

イベント中は、SNSに寄せられたファンからの熱いメッセージが司会者から読み上げられるひと幕も。「男同士の友情、その青春に憧れて、早く大学生の男の人になりたかった。生きる意味、生き方、哀愁。子供でしたがそういうところに魅了された」といったエピソードに、登壇者たちも感慨深い様子で耳を傾けていた。そして中村演じるカースケのファッションについて、「50年前、中学生の俺はカースケの着ていたアーミージャケットが欲しかった。おふくろに頼んでつぎはぎのジーンズを作ってもらい、下駄を履いていた」という投稿に対し、中村は「あの格好、自前なんですよ」と明かす。

「あの役を決める時に、雅俊が大学時代にやっていた格好で出ようじゃないか]いう案が出て。“下駄を履いていました”、“カーキのシャツを着ていました”、“バイトも20くらいやっていました”などということがことごとく採用されたんです。自分自身が入っているんで、カースケを思う気持ちは結構強い。ましてやそれを憧れてくれた人がいるなんて……。本当にありがとうございます」と感謝の言葉を述べた。

それを聞いた田中も「吉祥寺の喫茶店で初めて会った時、下駄を履いてたんですよ」と振り返ると、中村も「俺たちの旅」をやっていた頃、下駄を履いてディスコに行った時に「下駄は勘弁してください」と言われて、スタッフにスリッパを渡されたことがあったな」と振り返ると、会場は笑いに包まれた。

一方で、秋野演じるグズ六については「わたしは生きることに悩んだ時、「グズ六さん、俺の生き方は間違っているだろうか。生きるってなんだろうね」と問いかけると、「間違いじゃないよ、人それぞれの人生だからさ」とグズ六さんはいつも心の中で真剣に答えてくれる。だからわたしは前を向いていけます」という言葉に、秋野は「少なくともこのドラマを見て真似しようとしない方が良かったね」と照れ笑いで返したが、中村たちから「僕らの芝居を包み込むように引っ張ってくれたのは秋野さん」と告げられ、笑顔を見せていた。

さらに「中学1年生の頃、大好きで見ていました。番組の終盤に画面に出る言葉に惹かれてノートに書き写していました。言葉が長い時は全部書ききれない時もあり「あ、消えちゃった」と。「ただお前がいい」のイントロが流れると、画面を必死に見ていたこと、青春の思い出です」という投稿も紹介され、「あれはウルウルするよね」と田中が語ると、中村も「今回もふんだんに使っています」と明かすひと幕もあった。

ここで最後のコメントを求められた中村は、「監督として今日までやってきたことがある意味ゴールだったんですけど、ゴールと同時に今日この日からスタートするんだなという意識がすごく強いです。先ほども言いましたが、ただ撮影現場に行くのが楽しかった作品が、青春ドラマの金字塔と呼ばれるようになったのは本当に嬉しい誤算だったんですけど、それも皆さんの支えというか、愛情があったからこそ」と感謝の思いを述べると、「皆さんの目の前には70をとうに過ぎた老人二人と、80をとっくに過ぎたおじいちゃんと、年齢不詳の女性が立ってますが、心配しないでください。ちゃんと青春ものになっていますから。そして「俺たちの旅』のテーマでもある“生きるって切ないよね”というテーマもちゃんと表現してありますんで、どうぞそして最後には、ドラマ最終回に登場した散文詩にちなみ、中村が「カースケはカースケのままで」、秋野が「グズ六はグズ六のままで」、田中が「オメダはオメダのままで」、岡田が「真弓は真弓のままで」と読み上げると、最後に中村が「心はひとつ」と会場に呼びかけ、会場全員で「俺たちの旅!」の大合唱となった。
『五十年目の俺たちの旅』完成披露上映会

物語
津村浩介“カースケ”(中村雅俊)と、大学時代の同級生の神崎隆夫“オメダ”(田中健)、カースケの小学校の先輩である熊沢伸六“グズ六”(秋野太作)の3人は70代になり、付き合いはすでに50年を過ぎている。カースケは現在、従業員10人ほどの小さな町工場を経営し、オメダは現在も鳥取県の米子市長を務め、グズ六は妻のおかげで介護施設の理事長の座に収まり、それぞれ平穏な日々を過ごしていた。
そんなある日、カースケの工場にオメダがやってくる。カースケは、米子市長を務めるオメダを誇らしい気持ちで従業員に紹介するが、オメダは思いつめた様子ですぐにその場を後にしてしまう。また別の日、カースケの工場で製作中だったポットが大量に割られる事件が起きる。その中に懐かしい砂時計を発見したカースケ。その砂時計はかつての恋人・洋子と行った思い出の地、鳥取砂丘で買ったものだった。20年前に病死した洋子を懐かしむカースケだが、グズ六から「洋子が生きてる!」と驚きの情報を耳にし…。

「50年目の俺たちの旅」出演:中村雅俊 秋野太作 田中健 / 前田亜季 水谷果穂 左時枝 福士誠治 / 岡田奈々
原作・脚本 鎌田敏夫 監督 中村雅俊 主題歌 「俺たちの旅」歌:中村雅俊
配給 NAKACHIKA PICTURES
©「五十年目の俺たちの旅」製作委員会

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