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映画『エコー・バレー』

Appleスタジオ製作の配信映画『エコー・バレー』がリリースされた。ジュリアン・ムーア、シドニー・スウィーニー共演のサスペンススリラーである。アメリカの馬牧場を舞台に、美しい自然の風景を映し出しながら、そこに潜むおそろしさをも同時に描く、複数の意外な要素を持った挑戦的な一作だ。

物語の中心となるのは、母と娘の“破滅的な絆”。ペンシルベニア州僻地の山間部に一人で暮らし、農地や馬を管理しながら乗馬を教えているケイト(ジュリアン・ムーア)は、同性婚で妻にした女性を不慮の事故で亡くし、心の傷からまだ癒えていなかった。

農場経営に苦労しているケイトは、弁護士である元夫(カイル・マクラクラン)に援助を求めようとするが、逆に彼女は薬物依存症の娘クレア(シドニー・スウィーニー)のために資産を浪費していることを叱責されることに。娘のクレアは高額な治療費のかかるリハビリ施設を度々抜け出し、外でチンピラたちと気ままに過ごす自堕落な生活を送っていたのだ。

一般的な映画では、母親と子どもの関係や家族の絆というものは、無条件で素晴らしいものだと描かれることがほとんどだ。それは、観客の素朴な感情にうったえかけ、共感を呼ぶ要素なのである。だから、ここでカイル・マクラクランが演じる人物のように、家族の繋がりを否定するような発言をするのは、悪役とみなされることが少なくない。観客もまた、そうした偏見を乗り越え、母と娘が再び愛を取り戻す展開を期待するかもしれない。

本作が特徴的なのは、この元夫が発する警告の方が正しかったという点である。妻を失って寂しい思いをしている主人公ケイトは、家に帰ってきたクレアを抱きしめ、ふたたび彼女に愛情を注ごうとするのである。しかし、その気持ちは裏切られる。クレアは交際している男性とともに大金を要求する。そんな金はない、あなたに全て使ってしまったとケイトは拒否するものの、クレアは飼い犬を殺すと脅し、ケイトの髪を掴んでそのまま頭を壁に強烈に打ち付けるのだ。

ここまで惨憺たる母と娘の関係が描かれるというケースは、とくにアメリカのメジャーなスタジオの作品では、なかなかないといえるだろう。監督のマイケル・ピアースは、イギリスの問題作『Beast(原題)』(2017年)でも、雄大な自然の風景と、母親と娘の確執を描き、異常な展開を見せる物語を提供していた。そんなエクストリームかつ既成概念を揺るがしてくる作家性を、アメリカ映画として変奏したのが、本作ということなのだ。

この後、物語は一気にサスペンスに傾く。娘クレアが、体に血を付着させた姿で帰ってきたのである。彼女は、「恋人を殺した」とケイトに告白。あれだけのひどい目に遭わされたケイトはクレアを受け入れ、死体を湖に沈めて殺人を隠蔽するという、重大な犯罪に手を染めてしまうのである。どんなに裏切られても、それが犯罪であっても、娘のために献身的な行為を繰り返す母親の姿に胸を打たれる描写である。

その結果、ケイトは脅迫者ジャッキー(ドーナル・グリーソン)に大金を要求されることとなる。暴力的で冷酷なジャッキーは、ケイトを支配して自分の思い通りに動かしていく。そんな状況下において力になってくれるのが、親友のレスリー(フィオナ・ショウ)や、知人のエマ(レベッカ・クレスコフ)ら、女性たちの連帯である。

なかでも、ケイトとともにクィアのコミュニティをかたちづくるレスリーは、不安定なケイトを励まし慰めてくれる、精神的拠りどころとなっている。本作の撮影がおこなわれたというニュージャージー州、そして作中の舞台となっているペンシルベニア州といった、アメリカ北東部は、アメリカ全体のなかでは政治的に進歩的な地域だといえる。ペンシルベニア州もまた、都市部ではLGBTQフレンドリーな傾向がある。

とはいえ、農村部では保守的な人々も少なくなく、北東部のなかでは政治的な支持傾向が割れることで、近年の大統領選では「激戦州」と呼ばれている。本作で暴力的な男性たちに対して、女性やクィアのコミュニティが連帯して立ち向かう構図は、まさにペンシルベニア州の状況が投影されていると考えられる部分だ。

そんな対立構造を複雑にするのが、娘のクレアの存在だ。彼女は女性の連帯に加わることなく、家族の絆や愛情を利用して、母親のケイトから全てを、計算高く吸い尽くそうとするのだ。そんな悪魔的な性質を持っているのに、彼女の愛らしい顔や困っている姿を目の当たりにしたケイトは、親として助けざるを得なくなってしまうのである。このような役を、スター俳優といえるシドニー・スウィーニーが演じているというのが、素晴らしく上手いキャスティングだといえよう。

本作は、この親子関係を通して、観客に「家族とは何か」、「愛はどこまで許されるか」を問いかけてくる。ハリウッド娯楽作におけるセンチメンタルな家族劇を拒否し、愛の持つ“毒性”を突きつけるのだ。何度も娘を許してしまうケイトの振る舞いに、観客は苛立つかもしれないが、それがシドニー・スウィーニーの姿で演じられると、「確かに許しちゃうかもしれない……」と思ってしまうような説得力を生むのである。つまり、親から見た自分の子どもの愛らしさというのを、視覚的に表現しているのが、シドニー・スウィーニーということなのだ。

われわれもまた、クレアは今度こそ改心するのではないかと、またチャンスをあげたくなってしまうのが不思議なところだ。これは、ハリウッド映画などをはじめとする娯楽作品の多くが、しばしば“正しさ”と“美しさ”を同じものとして描いてきたからなのかもしれない。こういった、外見と内面の印象を一致させてしまう心理は、「ハロー効果」などと呼ばれたりする。

ジュリアン・ムーアが見事に体現してみせる、孤独な境遇に陥ったケイトという役柄は、過去に採録した映像や音声を聴きながら、雄大な自然のなかで暮らしている。だからこそ、娘との共依存に応じてしまうという部分もある。反響がこだまする山に囲まれた地域を指す、架空の地名「エコー・バレー」は、閉鎖的な場所で過去からの“こだま”に耳をすませる一人の女性の生き方と、親子という関係に絡め取られる境遇を暗示しているのだ。

このような要素を凝縮して一つの光景、物語へと昇華させた本作『エコー・バレー』は、単なるサスペンスやスリラーであることを超え、アメリカの地方文化や人間心理の複雑さを、地理的な条件とともに鮮やかに映し出す、レベルの高い一本だ。そして、この作品がぞくぞくするほど恐いのは、本当の脅威は外からではなく、自分の心の内側から来るのではないかという可能性を描いているからである。

■配信情報
Apple Original Films『エコー・バレー』
Apple TV+にて配信中
出演:ジュリアン・ムーア、シドニー・スウィーニー
監督:マイケル・ピアース
画像提供:Apple

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